2013/11/17
昨日と今日、一泊二日で、
鹿児島の知覧へ行ってきました。
太平洋戦争の末期、
特別攻撃隊(特攻隊)の
基地となったところです。
一度、訪れてみたいとの
念願が叶いました。
昭和20年4月1日から6月までの
わずかな期間、
各地から知覧に集められた
10代後半から20代の若者が
「敵艦に体当たりすること」を
人生の最後の目的として、
命を捧げました。
知覧特攻平和会館に
展示されている「手紙」は、
知覧到着後、2日〜3日で、
出撃命令を受ける隊員たちが、
その前夜に書き記したものです。
父母や兄弟姉妹への想い、
国がよくなって欲しいとの想いが
綴られていました。
特攻隊は、
戦争の犠牲者の象徴、
美化することは、軍国主義の復活などなど
この平和な現代において、
ネガティブな切り口で語られますが、
この方々の、切なる思いは
しっかりと受け止めたいと、
そう感じました。
また宿泊した「富屋旅館」は、
わずかな滞在期間の隊員たちが
集う場所として、
当時は、おかみさんが食堂を営んでいました。
その食堂のおかみさんの
お孫さんと結婚し、
富屋旅館に嫁いできた
現在のおかみさんが、
語り部として、
おばあさんから聞いた話を
後世に伝えています。
おばあさんは、
「伝え間違えては、ならないよ。」と
生前、仰っていたそうです。
この言葉は、
「学び間違っては、ならないよ。」
「実践し間違えては、ならないよ。」
受け取り側への戒めの言葉でもあると
そう感じました。
往復は、ピーチでした